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多くの尊い命が奪われた先の大戦では、戦場で傷ついた傷病者を救護するため、日本赤十字社の救護看護婦たちも次々と戦地へ旅立っていった。女性の身でありながら、出征兵士と同様、「召集状」と書かれた赤紙1枚で動員され、各地で救護班が編成された。 その派遣先は満州や中国大陸、東南アジアにまで及び、傷病将兵や一般人の救護に当たった。しかし、戦況の悪化とともに過酷な勤務を強いられ、戦闘行為に巻き込まれたり、終戦後も長期に抑留されたりするなど、筆舌に尽くしがたい運命をたどった。 肥後喜久恵 「侵略してもされても、戦争は戦争です。戦争という手段で物事を解決することは絶対に反対です。それは即、人の命を奪うことですから。どんな戦争も嫌です」 「気持ちを支えてくれたのは日赤の精神です。私はそこに戻りました。博愛。あの当時はそうでした。今でもそうです。医療というのは人種、年齢、全然差別はないですね」